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不思議な坂 [風景・和菓子]

京の都は、南北が大きな坂になっている。
これは、京都市内をママチャリで走るとよくわかります。
昔から言われていることに「東寺の五重の塔の高さと、北大路通が同じ高さ」と言われていた。
実際は、東寺の海抜が22.9メートル、五重塔の高さが54.8メートル、合計すると77.7メートルになる。
北大路通の烏丸なら68.6メートルでまだ低い。
昔は、高かったけど、高齢化で低くなった?おそらくそうではない。
北山通堀川ぐらいなら78.1メートルぐらいで大体同じになる。
それぐらい高低差があるのです。
だから、京都市内でよくボールがコロコロと南に転がっているのを目撃します。(ウソです)

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↑三条大橋

清水寺は、海抜何メートルぐらいか調べました。
110メートルなんだそうです。
私の住んでいるところも100メートルぐらいになるかな。
京都タワーは、高さが131メートルで私のところよりちょっと高いか。

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↑三条大橋から南を見る

東山あたりを自転車で観光すると結構ハードなんです。
しかも自転車道が整備されていないから、走っていて怖いかもね。
自転車の扱いは、ちょっと厳しくなるように思います。
実家あたりは京大があり学生がよく自転車で歩道を暴走しています。
あれは、怖いです。事故も結構起きているみたい。
近所の坂でも京都女子大のお姉さんが自転車で転けて怪我をしたはるようです。
結構スピードが出ますからね。しかも最近のお姉さんたちは、スマホや音楽を聴きながらで走るらしいしね。危ないですよ。

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↑三条通新京極

上の写真は、三条通と新京極の角にある坂の話。
ここは、通称「たらたら坂」といいます。
ここが不思議なんですよ。この部分だけが坂で一本西の寺町は坂になっていない。
三条通と河原町通も坂になっていない。
現場に行くと不思議ですよ。

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↑三条通寺町

原因は、鴨川なんです。
寺町通は、1000年以上の歴史があります。
ここが平安京の東の端だったのです。
そして、いまの新京極通が場所が鴨川の河原だったのです。昔は、鴨川が西に流れていたのですよ。だから新京極通が寺町に対して低かった。

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↑上の写真の後ろに昔からあるカニの看板。大阪のように動かない。ここで食べたことはないです。看板がなんとなく怖かった。カニってよく考えたら気持悪い形ですよね。私は、あまり食べません。酒飲みじゃないからかも。剥くのが邪魔くさいからかな。私の両サイドに綺麗なお姉さんが座り(おっさんは不可)、カニの身を取り出していただいたら、いくらでも食べますけど・・・。その条件で食べさせてやろうとおっしゃるお方が居られましたら、コメント覧にお書きくださいませ。

1590年(天正18年)に豊臣秀吉が三条大橋を作ったとき、三条通を寺町通から橋まで延長させましたが、このとき、河原を通る部分がぬかるまないように三条通をまっすぐに作ったのです。この時点で、三条通と河原の高さがずれてしまった。
1872年(明治5年)京都府によって、河原だったところに新京極通が誕生しました。この際、高低差をカバーするために現在のような坂道ができたというわけです。

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↑亀屋良長「山柿」

明治の初めは、鴨川の河原が現在の新京極の所にあった。
鴨川の流れが変わってしまったということになりますね。
なんとなく、なっとくしたけど、不思議な気持になります。
タイムマシンがあったらちょっと行って見て見たいですね。
UFOというのは、未来から来た観光ツアーなのかもね。
見たくなりますよね。昔の京の都。

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↑煉切、柿あん

和菓子

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  • 作者: 中村 肇
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2013/01/26
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↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをします。詳しい説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
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