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派手好きの秀吉さんの割りには桜が地味 [社寺・和菓子]

ここは、豊国神社。
その名前があらわすように、豊臣秀吉(豊国大明神)を祀る神社。

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「明神」というのをご存じですか?
日本の神道の神の称号の一つです。
神は仮の姿ではなく明らかな姿をもって現れているという意味。
吉田神道の神号なんです。
豊国大明神というは、有名な例です。
人間を神に昇格する時に使う便利な言葉かな。
京男なら「京男大明神」となります。

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いま、思い出したけど、吉田山にある竹中稲荷の北側に不思議な場所があります。
あそこも「明神」と名の付く塚がいっぱいあるけど、非業の死をごべた人が祟らないように神格化するために名前を付け、葬った塚かも。
ならあの異様な雰囲気はわかる。

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それに対して仏教系の山王一実神道で神号として用いられる権現(ごんげん)は、「神が権(かり)に現れる」、また「仏が権(かり)に神の姿で現れる」という意味でです。
徳川家康の「東照大権現」が有名。
家康の神号をめぐって、南光坊天海の「大権現」案と、金地院崇伝の「大明神」案をめぐる論争は有名で話です。

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宗教に関して日本は不思議な国です。
仏法が広まるとき、現地の神と争いが起こる場合があるのですが、日本の場合は、神は仏の信者を守護するという形で落ちついた(神仏習合)。
これらが明神や権現と呼ばれ、信仰の対象となっている。
他の国なら戦争にまで発展するのですが、日本は凄いですね。
明治になってこれが神仏分離ということになった。
それが廃仏毀釈なんです。
こんなことは、中学高校で習わないでしょ。
調べると面白いですよ。

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なんか本題からそれてしまいまいた。
秀吉さんは、派手な桜が好きだったようですね。
醍醐寺の桜を植えたのも秀吉さんだしね。
その秀吉さんの神社の割りには控えめな桜でしょ。
もっと植えたらいいのに・・・と余計なことを考えてしまいました。

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↑嘯月「草もち」
いまぐらいの季節に食べて美味しいのは、こういう和菓子かな。
花粉でボーッとした頭をシャキッとしてくれます。

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↑こしあん

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↑2012年4月19日午前7時。今日は晴れの一日らしい。昨日は室内が24度ぐらいになった。もうすこしでクーラーのスイッチを入れるところでした。ベランダからの桜は若葉がすくすく成長してきました。そのスピードが凄い。

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ウグイスの鳴き声を寝床で聞く悦楽 [社寺・和菓子]

ここ一週間ずっと夜明けにウグイスが鳴いてくれる。
日の出も早くなってとてもうれしい。

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昨日は、久しぶりに徒歩で病院。
散歩には、いい季節になった。
できれば違うところに行きたいものだけど。
坂を降りる時、桜の蕾がかなり膨らんできていた。
来週は笑うでしょう。

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智積院も春の陽気に包まれてきた。
でもまだ梅の花は花盛り。
なんだか得した気持ちがした。

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黄色の花もいいですね。
ピンクや黄色、薄い緑色なんかも春らしい。
昨日の朝は、そらまでパウダーブルーだった。
そろそろ黄砂で黄色っぽくなるのかな・・・。

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昨日の智積院は「得度式」。
新入のお坊さんたちの修行の始まり。
しっかり修行して衆生を救済してくださいね。
フト会場に入って「何のために坊さんになるのか」聞いてみたい気がした。
そういえば、昔、仕事で呼ばれ「お寺を有名にしたいけど、どうしたらいい?」との質問。
実はそのお寺の境内を歩いている時、その坊主が境内でビールを飲んでいるのを目撃していた。
有名になりたいなら、取りあえず境内を綺麗に掃き清め、近所の子供たちが気持ちよく遊びにこれる寺にしなさい。墓地や駐車場を増やすな。
そう言って帰った。
お寺の役割ってなんなのかしっかり考えて欲しいものだ。
葬式坊主なんてそろそろいらないのかも。
もちろん仏教だけじゃないけどね。

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↑紫野源水「咲き分け」

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↑きんとん、小豆粒あん

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↑2012年3月31日午前8時。いま、雨が降っている。午後は止んでくるかな。気温は、15度ぐらい。雨が止むと寒くなるようです。現在、窓をあけて作業をしています。うれしいな〜。晴れたら黄砂や花粉が入ってくるのですよ。人間はいいけど、PC的には困るしね。夜は網戸をすり抜けて、小さな虫が入ってくるしね。そんなことでも季節を感じる。

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ネコ道を抜けると・・・ [社寺・和菓子]

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先日、カットに行くために下山した。
近道を行くために猫道を通る。
「駐車場境界の狭いネコ道を抜けるとそこは、方広寺だった・・・」

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↑ふり返った状態

方広寺とは、豊国神社の北隣のお寺。
豊臣秀吉がここに、奈良・東大寺に倣った大仏殿の造営が開始され、文禄4年(1595)に完成した。東大寺の大仏より大きい18mの大きさであったそうです。
その大仏は、慶長元年(1596年)9月5日の夜に地震により倒壊した。
この地震は、後世に言う慶長伏見大地震なんだそうです。

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↑方広寺鐘楼

現在の京都・伏見付近の有馬〜高槻断層帯、あるいは六甲〜淡路島断層帯を震源として発生したマグニチュード(M)7.0 〜7.1と推定される内陸地殻内地震(直下型地震)である。地震による死者数の合計は京都や堺で1,000人以上を数えたと伝えられており、完成したばかりの伏見城もこの地震により倒壊している。

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417年前の出来事なんだ。
京都といえども地震は来る。
そういえば京都市内は、他の場所でいろいろ地震が起こっているのに地震が来ていないのがちょっと心配になるな。

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この方広寺は、豊臣家が滅ぶきっかけになった鐘で有名。
説明を引用すると以下のようなことです。
「国家安康」「君臣豊楽」の銘文(京都南禅寺の禅僧文英清韓の作)が徳川家康の家と康を分断し豊臣を君主とし、家康及び徳川家を冒瀆するものと看做され、大坂の役による豊臣家滅亡を招いたとされる。この鐘は重要文化財に指定されており東大寺、知恩院のものと合わせ日本三大名鐘のひとつとされる。

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まさしく歴史の証人ですね。

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↑鐘楼の階段を降りる京男。すごいでしょ。松葉杖の2本の先と右足が宙に浮いている状態で撮影している。つまり左足だけでたって、カメラのシャッターをブレずに撮っている。結構危険な行為ですね。(自慢にならないか)

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↑千本玉寿軒「雪餅」
京都は雪が降らないな・・・

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↑つくねきんとん、黄味あん

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竜宮にようおこし [社寺・和菓子]

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これは、12日ぐらいの写真が残っておりました。
残り福というのがあるかもしれませんので、お付き合いください。

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↑門を入って左のお堂。豊川叱枳尼天と嚴島辨財天がお祀りしてあります。両方とも私と親しい神さんたちかもしれません。そんな気がする。

ここは、三十三間堂の東隣にある法住寺(ほうじゅうじ)天台宗のお寺。
平安時代中期に藤原為光によって創設され、その後院政期にはこの寺を中心に後白河上皇の宮廷「法住寺殿」がいとなまれた。法住寺殿が木曾義仲によって焼き討ちされ、数年を経て後白河上皇もなくなると、法住寺は後白河上皇の御陵をまもる寺として江戸時代末期まで存続、明治期に御陵と寺が分離され現在にいたる。

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↑辰年にちなんだものでしょうね。

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↑百度石、ここまで百度は大変かも。まだ清水寺の方が近いかな・・・それも難しいか。

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寺内の「身代不動明王(みがわりふどうみょうおう)」像は、平安期の作風とされる。この不動像は寺伝では慈覚大師が造立したといわれ、後白河上皇の信仰も篤かった。義仲の放火のさいに、上皇の身代わりとなったと伝えられており、現在も毎年11月15日には不動会(ふどうえ)がいとなまれる。
残念ながら京男は見ておりません。

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↑竜宮門、こちらは元々御陵の入り口だったらしいですね。乙姫さんを祀ってある訳ではなさそうです。

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↑まだお正月飾りがついております。お寺のお正月飾りは不思議な感じがしますね。

写真全体が地味なので、生菓子をご紹介。

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↑塩芳軒「此の花きんとん」
「古今集」仮名序に見える歌「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」からきているのかな。ようわかりません。

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↑つくね芋きんとん、白あん

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現役のお百度・・・柳谷観音2 [社寺・和菓子]

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↑縁日ということでお詣りの人が多かった

今日も柳谷観音。
お寺の説明をしておかないといけませんね。
歴史は古いようです。
以下お寺の説明の引用です。

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↑御詠歌が聞こえてきました

大同元年(806年)京都清水寺開創の延鎮僧都によって開山されました。
僧都はある夜、夢の中に観音菩薩が現れ、「京都西山に行けば生身の観音菩薩を仰ぐことができる」とのお告げを受け、直ちに西山に踏み入ると、柳の生い茂る渓谷の巌上に生身の十一面千手千眼観世音菩薩が顕現されました。僧都は、そのお姿を刻まれ、その場所に堂宇を立て安置し、日夜給仕をされていましたが、清水寺のご本尊をお守りする大切な任務があるため帰洛されました。

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↑眼力稲荷

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↑お百度用の竹。現役なんです。実際お百度を踏んでおられました。はじめてみました。

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やっぱり清水寺と関係あるのですね。
観音仲間というやつかな・・・・。
なんで眼病なんかという点も疑問ですよね。

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↑奥の院

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引用を続けます。
延鎮僧都が下山された後、811年弘法大師(空海)が度々当山に参拝されていました。ある時、堂の傍らにある巌窟の溜まり水で眼のつぶれた小猿を抱き、一心不乱に眼を洗っている親猿の姿を見かけられ、空海は小猿のために17日間のご祈祷を行いました。すると満願の日に小猿の目がパッチリと開き、喜んで山へと帰っていったそうです。空海は、この不思議な湧き水を眼病に悩む人々のために霊験あらたかなる霊水にしようと決意され、さらに17日間の祈祷を施し、独鈷で持って深く掘り広げ、眼病平癒の霊水に成就されたと伝えられています。 
この霊水が今も湧き出す独鈷水(おこうずい)です。また、江戸時代に第112代霊元天皇が眼病を治癒されたことをきっかけに明治に世に至るまで天皇家に独鈷水を献上していたと伝えられています。 普段は、ご自由に各自で汲んでいただけます。少しづつ溜めている水であり、また眼病平癒の霊水として信仰を集めておりますから、決して粗末に扱わないで下さい。このお水を一度観音様にお供えしてから持ち帰るのがここの慣わしです。観音様にお祈りしながら目を洗ってください。

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↑護摩堂

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↑京男も目のために祈祷してもらいました

なるほどね。
だから眼病に霊験があるのですね。
きっと昔は、眼病が多かったのでしょう。

写真が地味なのでおまけに生菓子をどうぞ。もう秋ですね。

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↑二條若狭屋「初萩」

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↑葛製、白こしあん

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