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東寺「天降石」 [社寺]

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↑東寺の天降石

この石は、いつもの贔屓君の西隣にある。
「天降石(てんこうせき)」と呼ばれている。
文字通り「天から降ってきた石」といわれ、この場所に古くからあったそうです。
見ると隕石ではなさそう。

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江戸時代では「不動石」とか「五宝石」「御法石」とも呼ばれ、民衆の間で信仰の対象となっていたようです。
贔屓君もそうですうよね。
京都市内の社寺には、「撫物(なでもの)的」なものが多いです。
それらを見るとまだツルツルになっているところを見ると現役なんでしょう。

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↑贔屓君が背負う石版

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昔「病気は、得体の知れない霊的なものが憑く結果生じたものである」という考え方がある。その穢れを何かに移し、川に流したり、炊きあげることにより悪い穢れを取り除き、病気を平癒すると考えた。
いまのように庶民が簡単に病院に行って治療することができない時代。それしか方法がなかったのかも。
だから「どこそこの場所の石を触れば平癒する」という噂を聞きつけて、人が集まったのでしょう。

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この天降石、昔は囲いがなかったかも。
それを病気の人が触る。また次の人が触る。
病気によっては、感染する危険性はないのかな?
明治の中頃には石を撫でることを禁止する制札が立ったり、昭和4年頃にも同じような問題が起きたというエピソードが残されています。
細菌やウイルスがそういう感染で起こるかどうかわからないけど、穢れのようなものがうつる可能性はあるかも。

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この石自体に浄化能力があれば問題ないけど、中には強いマイナス的なものに憑かれてた人がいて、それを置いて行く場合だってあるかも。
そんな非科学的なといわれそうですが、ありえるかもしれません。
個人が中古品を売買して、そういう物品を購入し、使ったり、着たりする時代になりました。もし問題ある物件がなんの浄化?していない状態で使うと問題を引き継ぐ?ことになる場合もある。使用履歴が明確でないものは避けた方が無難ですね。安いけど高くつく場合もあります。

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最近、スマホを使う人を見ていると危ないと感じます。
その人の心というか意識がない状態になっている人を見かける。
その状態で駅や交差点、橋、川、社寺に行くと浮遊している霊的なモノに憑依される危険性がある。そして不可解な事件に巻き込まれる。

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こういう撫物でも不用意に撫でるのは危険なことなのかも。
「パワースポット」などといい「おもかる石(重軽石)」を触るのも危ないことなのかもしれません。京都市内に悪いパワースポットも数多くあります。いいパワースポットは極めてするない。そんな簡単にパワースポットなんでありません。安易に行くべきでないですよ。
そういう所に行き、遊び半分でやってはいけませんね。
まあ、個人の自由といえばそうですが。

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おみくじ [社寺]

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↑東寺「食堂」これ「じきどう」と読みます。入ってもランチを食べられません。

今日は、おみくじについて書きます。
社寺でなにげなくひいたりしますよね。
これは、中国から日本に入ってきたものなんだそうです。
使い出したのは、元三大師の名で知られた第18代天台座主の良源上人なんだそうです。
元々は、仏教の習慣だったのかな?

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このおみくじ、神社とお寺で違うそうです。
なにが?
双方、ご託宣ということでは、同じですが、文章形式が違うそうです。
社寺が漢文なのに対し、神社は和歌が書かれています。おみくじは武士や僧侶が占うもので、彼らは漢文をたしなんでいました。
もちろん、われわれのような庶民は、ご託宣なんか知る必要はなかった。
まあ、和歌を見て「そうなんだ!」なんて思える人は、そうとうな人だったのでしょう。

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社寺でおみくじなんて形で、するようになったのは江戸時代ぐらいかも。
それとも明治時代?
庶民が知りたい託宣は、恋愛とか商売繁盛程度のことでしょう。
そういえば、おみくじを作ったこともあります。
そのために社寺関係に用品をおろしている会社に行ったことがある。
色んなおみくじがありました。
大吉〜大凶なんかの比率も変えられた。
社寺によって色んな考え方がありますからね。

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結局のところ、吉凶なんて目先で判断することではないように思います。
目先で大吉でもよくないこともある。大凶でも結果的にいいこともある。
ご本人の心の持ちようなんでしょう。
そういえば占いなんてのもあまり興味がなくなってきたかも。

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もう故人になられたけど、知人で易の達人がいた。
彼は、上場企業の経営者だった。
当然、生活のために易をやっていた訳ではない。
曰く「占いは、売らない」なんだそうです。
広い邸宅で直観に関する勉強会を開いておられた。

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その方でも奥様の寿命やご自身の寿命はあてられなかった。
自分や身内は、どうしても欲のようなものが働くのでしょう。
それと未来は、可能性の数だけ、いま現在にある。大なり小なり相違はあるけど、決まっているのかも。過去も可能性の数だけある。
寿命だってわからない。わからないから脳天気に生きていられる。
「いい縁に恵まれますように・・・」なんていい神仏に加護をもとめても、そうならない。「自分自身がいい縁」になる以外にいい縁はこないものなのかも。
自分の生き方が悪くていい縁にならないのを神仏のせいにすべきでない。
つくためには、ついている人やモノと付き合わないといけないとエライ人はいう。
回りを見回してもそんな人やモノがない場合はどうするのか?
自分の中についている部分を探すしかない。そしてその部分を伸ばすしかない。
いわれれば当たり前のことだけど・・・。


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