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滅びの梵鐘 [社寺・和菓子]

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↑観光の人はあまり通らないでしょうね。前に見えるのが梵鐘。

昨日の夜は、クーラーなしだった。
窓を開けると虫の声が聞こえてくる。

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ちょっと暑さがましだったので、徒歩で散髪屋さんに行く。
雨だったり、暑かったりすると行くのが億劫になっていたのです。
先週、眼鏡の調整に行って、髪が伸びて鬱陶しく感じた。
以来、あまり天気がよくなかったのでいけなかった。
今年はよく降りますね。
また来週、前半に台風18号がくるらしい。

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散髪屋さんに徒歩で行く時、必ず通るのが方広寺と豊国神社を通って行く。
最初の写真の猫道を通ります。
ここ、この間テレビで出て来た。
京都の大仏ということで、NHKでやっていた。

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方広寺には、豊臣家が滅ぶきっかけになった梵鐘があります。
いつも不思議に思うのは、それだけ問題のある梵鐘なのに、こうやっていまだに残っている。
普通なら徳川家の方からすると「けしからん」ということになったなら、この梵鐘を壊してしまえばいいのに。逆に豊臣家の方もそうだ。
「すんませんな〜」とこの文字だけ削ればいいのに。(笑)
まあ、どっちにしてもいちゃもんだから梵鐘の文字は関係ないのか。

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↑千本玉寿軒「名月」

また、ここにあった大仏も運が悪いですね。
豊臣秀吉が奈良に負けない大仏を作る!と造ったのはいいけど、文禄5年(1596年)開眼供養前に地震で潰れた。
秀吉としては、腹がたったのでしょうね。夢のお告げがあったと言って、善光寺如来(阿弥陀三尊)(当時は甲斐に在り)を移座して本尊に迎えることを計画。木食応其の尽力により、慶長2年(1597年)7月18日に善光寺如来が京に到着し、大仏殿に遷座した。ただ、その祟りなのか秀吉が病気になってしまう。さすがに怖くなって元に返したそうです。でも結局秀吉は亡くなってしまう。
その後、豊臣秀頼が造った。その時の梵鐘がこれなんです。
そして、クレームです。

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↑外郎、白こしあん

その後、四代の大仏があったけど、結局、残っていない。
いま、あったら観光名所になったのにね。

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