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「信じる」は難しい? [社寺]

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↑東寺五重塔

東寺に行く時は、大抵時間がない。
境内を30分ぐらい歩くだけ。
次のお座敷が待っているしね。

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↑なんともいえん空やね。

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↑宝蔵

ジックり見たからといって、感動して涙にむせぶという風景に出会わない。
でも確実に私の心に景色が染み込んでいるようです。
それが長い年月か短い時間でポコッと浮き上がるのでしょう。
だから東寺は面白い。

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↑なにか埋まっているのかな?

20年ぐらい前かなぁ・・・気功の師匠と東寺のことを話していた。
師匠は、気を通して空海のことを研究されていた。
実際に高野山に加持祈祷の技法を教えに行っておられた。
新・都ホテルの四川で何人かで食事をしていたことがあります。
東寺のことを話していた。
師匠は、五重塔の立体曼荼羅について話しておられた。
そこで京男は、東寺の立体曼荼羅もええけど、もっと上等(DX)の東寺もええですよ。
知ったはりますか?
上等の東寺?ってなに?
あそこは大日如来と違ごて観音さんやけど・・・。
京都勢は、笑っておりくれたけど、師匠は・・・だった。
京都人はイケズやね。

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↑この高札をしたに書きうつしました

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お大師さまのおことば(付法伝第二)

難信のことは
  諸仏の境界である

(信が難しいのは、仏の世界の問題だからである)
「話はわかった、あとは信じるだけだ」と言えますが、その「信じること」が一番難しい。信じたあとから疑いが出てくるからです。
つまり、信は私たちにあるのではなく、仏様にあるのです。私たちは只いただくだけです。
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確かに「信」は難しい。
「信」と同時に「疑」が存在するから。
この二者は、常に存在しますね。
「疑」だけ持てといわれても難しい。
空海さんは、仏の世界の問題とおっしゃる。
違うと思う。
「信」と「疑」が闘うから問題なんだと思う。
どちらか片方が失われたもう片方も消滅する。
仏の世界でなく、人間の心理の問題。
「信」と「疑」を心の中で争う状態がよくない。
争えば争う程、心が騒ぐ。
争うことで心がいっぱいになる。
真面目な人ほどそうなりますね。
片方のエネルギーが強くなりすぎるのがいけないのかも。
心が静かでなくなるしね。
私なら相対する二者をいったん捨てます。
すると心が静かになる。その時、ソッと信じる内容を絵としてうっすら想い浮かべる。思考のセンターでなく視野の右上あたりに。
それが実現するかどうか、わしゃしらんでいい。
大事なことは、心が自由であること。

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Twitter→@kyo_otoko
タグ:京都 社寺
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