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京都市内に渋谷?・・・渋谷街道 [風景]

昨日は父親デーだった。
私をタクシーで拾ってもらい鍼灸治療へ。
父親を観て状態を把握しているので、治療の場所を鍼灸の先生に依頼し、実行してもらう。人間の身体は面白いですね。遠く離れた場所でも経絡で繋がっているのがわかります。治療のやり方を見学させてもらうと参考になる。
そういう観点で自分の身体を観るといろいろなポイントが浮かび上がる。ここ数日身体を酷使した影響です。私は、一つのことに集中すると半日ぐらい同じ姿勢なんです。しかも何も考えずに身体だけ動かしている。異常ですね。しかも時間の経過を認識していない。よく言えば「夢中になって時間を忘れる」ということなのかも。
でも身体は、傷みます。自分でかなりの所まで治すのですが、どうしても人から治してもらわないとポイントがあります。
昨日は、父親をタクシーに乗せて実家へ帰ってもらい。それから私は、整体の方に行った。案の定、凝り固まった部位があった。自分でわかるようになっただけ進化しているのかも。で、京女と整体の場所で待ち合わせ、二人で身体の調整して、京女も私のように固まっていた箇所がありました。
これで夜、ユックリ寝れば、身体の状態は初期化されたでしょう。

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↑バス亭からフト見るとこんな植物がでていた。逞しい。

本日の記事は、京都市内にある「渋谷」です。
説明は、ウィキペディアから引用します。

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渋谷街道(しぶたにかいどう、旧字体: 澁谷街道)、または渋谷通、渋谷越とは、東山を越え、洛中(京都)と山科を結ぶ京都市内の通りの一つ。

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渋谷は、元々は滑谷(しるたに、汁谷、瀋谷などとも記される)と言われ、沢の水が絶えず落ち葉などとあいまって非常に滑りやすい道となっていたことに由来する。古くは久々目路(くくめぢ)、苦集滅道(くずめぢ)とも称した。また、馬町通(うままちどおり)とも呼ばれた。

東国から平安京(洛中)に至る古くからの街道であり、大津へ抜ける最短の間道として、平安時代から中世にかけては軍事的に重要であったとされ、軍記物語の『保元物語』に「久々目路」、『太平記』に「苦集滅道」の文字をみることができる。承久の乱の後、鎌倉幕府の六波羅探題がこの道の京都側(六波羅)に設置されたことで、東から京への入口として重要性が高まることになった。

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↑ここは、渋谷街道沿いにある「渋谷交番」なんか東京にあるような名前。坂がすごいでしょ。

元弘の乱で六波羅探題が滅び、近世になってから北に位置する日ノ岡越(三条街道、現・京都府道143号四ノ宮四ツ塚線)が東海道として主要幹線に位置付けられると、滑谷越(汁谷越)は東海道の脇往還(脇街道)として、南方の滑石越(現・京都府道118号勧修寺今熊野線)と共に広く利用されていた。

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↑東京のバッタモンのような・・・でも説明の通り古くからある街道なんです。

延享4年(1747年)1月から8月にかけて、清水寺領五条坂安祥院住持の木喰正禅養阿上人が渋谷峠の狭隘部分を55間(約100m)切り開け、高さを切り下げる工事を施しており[3]、それなりに往来はあったものと思われる。なお、木喰正禅は享保21年(1736年)1月から元文3年(1738年)11月まで約3年間の月日を費やして、前出の日ノ岡越においても同様の街道改修工事を実施している。

以上です。
この渋谷街道は、毎日歩いています。
交番の写真を見たらわかるようにかなりの坂道なんです。
ここを歩くことが脚のリハビリになっています。
最初、病院から松葉杖で退院した時、泣きましたね。

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Twitter→@kyo_otoko
タグ:京都 風景
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